日本のシティポップが海外で再評価
1970〜80年代の日本で生まれた「シティポップ」が、海外で再評価されている。竹内まりやの「Plastic Love」や松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」など、当時の楽曲がYouTubeやTikTokを通じて国境を越え、発売当時を知らない若い世代にも聴かれるようになった。
2026年8月には、ロンドンで大規模な日本音楽の野外イベント「City Pop Waves」が開催された。過去の日本の音楽が、インターネット上の人気にとどまらず、海外のライブ会場でも新たな聴き手を獲得している。
なぜ、数十年前の日本の音楽が、いま海外で新鮮に受け止められているのだろうか。
YouTubeが世界への扉を開いた
海外での再評価を象徴する作品の一つが、竹内まりやの「Plastic Love」だ。
1984年に発表されたこの楽曲は、2017年にYouTubeへ投稿された非公式動画をきっかけに、海外のリスナーの間で広く知られるようになった。動画のサムネイルや推薦機能なども、楽曲が新しい聴き手に届く過程で大きな役割を果たした。
この広がりは、音楽のヒットがレコード会社による宣伝や発売当時の人気だけで決まるわけではないことを示している。ファンによる投稿をきっかけに楽曲が発見され、その後、公式の展開にもつながっていった。
松原みきの「真夜中のドア〜Stay With Me」も、海外で再評価された代表的な楽曲だ。1979年に発表されたこの曲は、2020年ごろにTikTokを通じて人気が再燃。2025年5月には、Billboard JAPANの海外向けランキング「Global Japan Songs Excl. Japan」で初めて首位を獲得した。
発売から数十年を経た楽曲が、SNSを通じて新たなヒットを記録したのである。
欧米の音楽文化と日本独自の感性
シティポップの魅力は、1980年代の雰囲気を懐かしむことだけではない。
当時の日本のポップスには、ファンク、ディスコ、ジャズ、R&B、AORなど、海外の音楽文化から影響を受けた作品が数多くある。それらを日本の作曲家や演奏家が独自の感性で再構成し、洗練されたサウンドへと仕上げてきた。
緻密なアレンジ、豊かなコーラス、グルーヴ感のあるリズム、都会的なメロディー。こうした要素は、発表から数十年を経た現在でも、音楽としての魅力を失っていない。
日本語の歌詞が分からなくても、歌声やメロディー、演奏そのものを楽しめることも、海外で受け入れられる理由の一つと考えられる。
シティポップは、日本独自の音楽であると同時に、世界のポップミュージックと共通する要素を持つ。その両面が、国境を越えた受容につながっている。
音楽だけではない、80年代の世界観
シティポップの人気を支えているのは、楽曲だけではない。
レコードジャケットに描かれた海辺や都会の風景、夜のドライブを思わせるサウンド、ネオンやリゾートを連想させるビジュアルも、音楽と一体となって受け止められている。
海外の若い世代の多くは、当時の日本社会を実際に経験していない。それでも、作品を通じて想像する1980年代の日本に魅力を感じている。
2025年に学術誌「Continuum」に掲載された研究では、米国のZ世代によるシティポップの受容を分析し、TikTokや音楽ストリーミングサービスが楽曲との出会いに果たす役割を論じている。研究では、実際には経験していない過去に懐かしさを感じる現象にも注目している。
ただし、海外の若者が当時の日本社会そのものを理解しているとは限らない。彼らが惹かれているのは、音楽やビジュアルから形づくられた、理想化された80年代のイメージという側面もある。
過去の文化は、実際にその時代を経験した人にとっては思い出であっても、後の世代にとっては新しい発見になり得るのだ。
ロンドンの野外イベントが示した広がり
シティポップへの関心は、オンラインで楽曲を聴くことだけにとどまらなくなっている。
2026年8月7日、ロンドン南部のCrystal Palace Bowlで「City Pop Waves」が開催された。高中正義がヘッドライナーを務め、八神純子、菊池ひみこ、Ginger RootのDJセットなどが出演した。
開催後の報道では、会場に多くのファンが集まったと伝えられている。このイベントは、過去の日本の音楽がインターネット上で話題になるだけでなく、実際のライブ体験へと広がっていることを示す具体例といえる。
もちろん、一つのイベントだけで海外全体の人気を測ることはできない。それでも、長年日本で活動してきたミュージシャンがロンドンの大規模会場で演奏し、海外の観客を集めたことは、シティポップをめぐる動きを考えるうえで注目に値する。
「シティポップ」というジャンルも再構成されてきた
もう一つ興味深いのは、シティポップというジャンルそのものの成り立ちだ。
現在、シティポップと呼ばれている音楽のすべてが、当時から同じジャンル名で一括りにされていたわけではない。作品ごとに音楽性は異なり、歌謡曲、ファンク、ジャズ、ロックなど、さまざまな要素が交差している。
シティポップの定義や歴史を扱う研究では、2000年代以降に国内で再定義や再解釈が進み、2010年代にはインターネットを介して世界的に認知されるようになった過程が論じられている。
また、2025年にはアムステルダム大学の研究機関で、シティポップというジャンルが後の時代に形成されてきた過程をテーマとする国際研究会が開かれた。
つまり、現在のシティポップ人気は、過去の音楽がそのまま再発見されたというだけではない。異なる時代や音楽性を持つ作品が、国内外のリスナーや研究者によって関連づけられ、一つのジャンルとして捉え直されてきた面がある。
過去の日本文化に新たな価値が生まれる
シティポップの再評価は、日本の音楽文化にとって何を意味するのだろうか。
日本の音楽は、アニメや現代のJ-POPだけではない。過去に生み出された作品も、時代や国境を越えて新しい価値を獲得する可能性を持っている。
興味深いのは、海外で評価されているのが、日本らしさを前面に押し出した音楽だけではないことだ。海外の音楽文化を吸収し、日本の作曲家や演奏家が独自の感性で作り上げた作品が、今度は海外のリスナーによって新鮮なものとして発見されている。
さらに、インターネットは、過去の音楽と現在の聴き手を結びつけるだけでなく、その音楽の意味や位置づけを変える役割も果たしている。
日本で生まれた音楽が海外で新しい意味を与えられ、再び日本でも注目される。シティポップの再評価は、文化の価値が生まれた時代や場所だけで決まるわけではないことを示している。
数十年前の音楽が、いまを生きる若い世代にとって新しい音楽になる。シティポップの広がりは、インターネット時代における文化の継承と再発見を象徴する現象といえるだろう。
『オレたちひょうきん族』のエンディングが好きだった
私にとって、80年代の音楽を思い起こすとき、忘れられないのが『オレたちひょうきん族』のエンディングだ。
番組を締めくくった代表的な曲といえば、EPOの「DOWN TOWN」。作詞は伊藤銀次、作曲は山下達郎。もともとは山下達郎が在籍したシュガー・ベイブの楽曲で、EPOによるカバーバージョンが番組のエンディングテーマとして使われた。
軽快なリズムと都会的なサウンド。お笑い番組のにぎやかさとは少し違う、洗練された音楽が流れ始めると、番組の終わりが特別な時間に感じられた。笑いの余韻を残しながら、土曜の夜の街へと気持ちを連れ出してくれるような曲だった。
エンディングを彩ったのは「DOWN TOWN」だけではない。EPOの「土曜の夜はパラダイス」「涙のクラウン」、山下達郎の「パレード」「土曜日の恋人」、松任谷由実の「土曜日は大キライ」「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」「恋はNo-return」など、当時のニューミュージックを代表するアーティストの楽曲が使われていた。
こうして曲名を並べてみると、番組のエンディングそのものが、80年代の日本のポップミュージックに触れる入り口だったことが分かる。笑いで盛り上がった時間を、音楽が都会的で少し大人びた余韻へと変えていたのだ。
いま、シティポップが海外の若い世代に再発見されている。そう聞くと、当時テレビから流れてきた音楽を思い出す。自分にとっては懐かしい記憶の一部だった曲が、時代を知らない人には新鮮な音楽として響いている。
あのころのエンディング曲には、単なる番組の締めくくりを超えた魅力があった。音楽が番組の記憶と結びつき、時代の空気まで運んでくる。そして何十年もたった今、その音楽が国境を越えて新たな聴き手に出会っている。シティポップの再評価を、私はそんな個人的な記憶からも興味深く感じている。
参考資料
- Pitchfork:「Plastic Love」がYouTubeで広がった経緯
- Billboard JAPAN:松原みき「真夜中のドア」の海外ランキング首位
- Continuum:米国Z世代とシティポップに関する研究
- アムステルダム大学:シティポップのジャンル形成に関する国際研究会
- City Pop Waves:公式イベント情報

G-newsの更新情報を通知で受け取る
新しい記事が公開されたとき、この端末にお知らせします。
