これまで日本は、日本語という言語の壁によって、海外からのサイバー攻撃に対して一定の防御効果を得ていたのかもしれない。
インターネットを通じて世界中がつながっていても、誰もが日本語を理解し、日本の商習慣や企業文化に精通しているわけではない。
不自然な日本語のメール、誤訳された文章、ビジネスの現場にそぐわない連絡。こうした違和感は、フィッシング詐欺などを見破る手掛かりの一つだった。
しかし、日本語そのものにセキュリティー機能があったわけではない。日本語で自然な文章を書き、日本の社会や商習慣に合わせた攻撃を仕掛けるには、一定の知識や手間が必要だったということだ。
その障壁が、生成AIによって低くなりつつある。
日本語の壁は、急速に低くなっている
生成AIを使えば、自然な日本語の文章を作成できる。日本のビジネス慣習に沿ったメールを作り、相手の立場や状況に応じて表現を調整することもできる。
さらに、外国語の技術文書の読解、プログラムの作成や修正、エラーの分析、セキュリティー上の弱点の調査なども支援できる。
こうした能力は、防御側にも役立つ一方、悪意ある目的にも利用される可能性がある。
もちろん、AIを使えば誰でも高度なハッキングを成功させられるわけではない。それでも、言語の壁が低くなり、技術情報を理解する負担や攻撃準備にかかるコストが減れば、日本向けの攻撃に必要だった障壁の一部が失われることになる。
日本は、すでに攻撃しやすい国なのか
ここで考えたいのは、日本がこれから攻撃されやすくなるのかという問題だけではない。
日本は、すでに攻撃者にとって狙いやすい環境を抱えているのではないか。
日本では、ランサムウェアやフィッシングなどのサイバー攻撃が継続して発生している。また、IPAの中小企業向け調査や政府のサイバーセキュリティー関連資料では、中小企業の対策やサプライチェーン全体の防御が重要な課題として扱われている。
専門の担当者を置くことが難しい企業、十分な予算を確保できない組織、システムの更新やアクセス権限の管理が行き届かない環境。こうした弱点は、攻撃者に利用される可能性がある。
ただし、攻撃を受けていることと、他国より攻撃しやすいことは同じではない。日本が国際的に見て特に攻撃しやすい国なのかを判断するには、攻撃の成功率、脆弱性、被害状況、防御体制などを国際比較する必要がある。
現時点で、日本が世界有数の「コストパフォーマンスの良い攻撃対象」になったと断定することはできない。
しかし、すでに存在する防御上の課題に、AIによる攻撃準備の効率化が重なれば、状況が変化する可能性は十分に考えられる。
言葉の違和感だけでは、見抜けなくなる
日本語が自然で丁寧であれば、私たちは相手に安心感を抱きやすい。
取引先を装った請求書、振込先の変更依頼、上司を装った送金指示。こうした攻撃では、日常的な業務や信頼関係そのものが悪用される。
しかし、文章が自然であることと、送信者が正当であることは別の問題だ。
日本語の不自然さを手掛かりにしてきた場合、その判断方法は今後、通用しにくくなる可能性がある。
必要なのは、言葉の巧拙ではなく、相手と操作の正当性を確認する仕組みだ。
送金先の変更は別の経路で確認する。多要素認証を導入する。システムを更新し、アクセス権限を必要最小限にする。バックアップを確保し、侵入された場合にも復旧できる体制を整える。
また、ゼロトラストの考え方に基づき、社内ネットワークや既存の取引関係にあるという理由だけで無条件に信用せず、利用者や端末、アクセス要求を適切に検証することも重要になる。
個人の注意力だけに頼るのではなく、だまされても被害が発生しにくい仕組みを整えることが求められる。
偶然の防御に頼れない時代
AIは、防御側にも攻撃側にも利用できる。攻撃の準備が効率化される一方、防御側もAIによる脅威分析や異常検知などを活用できる。
したがって、AIの登場によって攻撃側が必ず優位になると決まったわけではない。問われるのは、新しい技術をどう活用し、防御体制をどこまで整えられるかだ。
日本語という壁は、日本を守るために設計されたものではなかった。言語や文化の違いが結果として生み出していた、偶発的な障壁にすぎない。
その障壁が低くなれば、これまでと同じ対策だけでは十分でない場面も増えていく。
日本語という壁がなくなったとき、日本は何によって守られるのか。
「偶然守られていた時代」から、自ら守る仕組みを構築する時代へ。
生成AIが突きつけているのは、サイバー攻撃の手口の変化だけではない。私たちが、これまで何を防御として頼りにしてきたのかという根本的な問いなのである。
参考資料
- 情報セキュリティ白書2025(独立行政法人情報処理推進機構〈IPA〉)
- 2024年度 中小企業における情報セキュリティ対策に関する実態調査(IPA)
- ENISA Threat Landscape 2024(欧州連合サイバーセキュリティ機関)
- Microsoft Digital Defense Report(Microsoft)
- 2025 Data Breach Investigations Report(Verizon)
※参考資料は、サイバー攻撃の動向や生成AIの悪用、中小企業のセキュリティー対策などを理解するためのものです。「日本語の壁」が日本の防御に与えてきた影響や、日本が他国と比べて攻撃しやすい環境にあるかどうかについては、直接的な実証が十分ではなく、本コラムには独自の分析と問題提起を含みます。

